いよいよ八間川調査も、今週の日曜日に迫ってきました。
ちょっとお天気が心配ですが、楽しい調査にしたいですね。

その八間川調査に関連して、今年も7月4日(水)に、水島小学校の総合的な学習の時間で、八間川についてのお話をしてきました。
これは、児童たちが事前に八間川について調べて、疑問に思ったことに対して、みずしま財団が答えるというもので、今年で3回目になります。

今回、水島小学校に許可をいただいたので、児童の質問とそれに対する回答の一部をご紹介したいと思います。
児童たちもしっかり八間川を観察していて、関心が高いことが窺われました。

<八間川についての子どもたちからの質問事項>

1. 生き物について
・ 現在はいないが、昔はすんでいた魚がいるのですか?
→昔は、今よりも多くの種類の魚がすんでいたと考えられますが、きちんとした調査をされていなかったので、正確にはわかりません。

・ 八間川に集まる虫や鳥の名前を教えてください。
→これまでの八間川調査で、昆虫では、シオカラトンボやギンヤンマ、イトトンボ(ヤゴが中心)といったトンボの仲間や、アメンボの仲間などが見つかっています。鳥は、サギの仲間、セキレイ、それにカモが見つかったこともあります。

・ 生き物は八間川のどこで生まれるのですか?
→八間川は、両側がまっすぐなコンクリートの壁なので、そういった卵を産みつけたりするのには向いていない場所といわれています。八間川の上流部には、種松山というところになりますが、そこにあるため池は、まだ自然が残っており、そこで生まれた魚が、八間川に流れ込んでいるのではないかと考えられています。

2. つくりについて
・ 八間川が二つに分かれていることで、どんな良いことがあるのですか?
→昔は、八間川の東側の部分を流れる水は、非常に汚れていたので、それが混ざらないように仕切って、農業排水路は何とかきれいに保とうという目的がありました。しかし、工業廃水路側も昔ほど汚くなくなってきたので、2つに分ける意味は、あまりないかもしれません。

・ 細い川と太い川に分かれているのはどうしてですか。なぜ、農業排水路の方が太いのですか。
→行政で、大雨のときも含めて、大体これくらいの水が流れるだろうということを計算して、川の幅も決められています。農業排水路は、上流の種松山からの水や田んぼから流れ込む水量が工業廃水路より多くなっているので、太くなっているのです。

・ なぜ川の水は、北から南へ流れているのですか?
→水は常に高いところから低いところに流れるためです。その、最も低いところに水が溜まっているのが、海ということになります。ちょうど、水島では、海は南側にあるので、そこに向かって水が流れるため、北から南に流れていくことになります。

・ 八間川は何kmあるのですか?
→八間川は、起点が倉敷市水島川崎通1丁目1-5で、終点が倉敷市八王寺287-1で、その間の長さは10.378kmになります。

・ 八間川の川幅は、昔から八間あったのですか。
→実は、現在の八間川の幅は、正確には八間ありません。現在は、約7mで、これは八間(約14m)の半分となります。実は、ずっと昔、八間川が都市下水路になる前の頃に川幅が八間あったためにそう呼ばれ、現在はその名残で八間川と呼ばれているのです。

・ 八間川の終わりはどうなっているのか見てみたいです。
→八間川を下っていくと、JFEの工場の北門があります。そこをさらに西に行くと、遊水地という池があって、ここが八間川の最終地点ということになります。

3. 水質について
・ 八間川の場所によって、水のきれいさに違いがあるのはなぜですか?
→川の水は、工場や家庭排水のように汚い水が流れ込んだところは、水が汚れているけれども、下流に流れていく内に、上流から流れてくるきれいな水と混じって、広がって薄められていくことになります(希釈)。そうやって薄められてしまうと、汚れは目立たなくなります。

・ なぜ秋と冬は水がきれいなのですか?
→夏のように暑い時期は水温も上がって、川の中にあるものや捨てられたごみなどが腐るのも早く、水が汚れてしまうためです。実は、もう一つ、夏場は、水中の微生物が増えることによって透明度が低くなるというものもあります。

・ 流れている水の量はどれくらいなのですか?
→これまでの調査結果から、最も多いとき(2002年夏)で約1200L/秒、最も少ないときで数十L/秒という値が出ています。

4. 歴史について
・ なぜ八間川ができたのですか?
→現在八間川の流れているところには、かつて東高梁川という川が流れていました。これは、たびたび洪水をおこすので、大正15年に堤防で仕切られてしまい、廃川地となってしまいました。その土地は、大根などを作る畑や、田んぼに適していたので、周辺の地域から開拓者がやってきて、田んぼや畑にしていきました。
そうすると畑に水をやらなければいけないので、水を誘導するために、ちょうど高梁川の廃川地の跡地に作られたのが、八間川となります。できた当初は、非常にきれいな川でした。

・ なぜ、酒津公園の井戸が始まりなのですか。
→酒津公園の井戸は、クラレの工場が地下水をくみ上げる井戸になります。そこでくみ上げた水を工場で使い(現在は、工場はほとんど機能していないが、水は水量確保のためにくみ上げている)、排水として流すところが八間川の最上流部になるためです。