参加してきました。
公害地域のいまを伝えるスタディツアー2009〜富山・イタイイタイ病の地を訪ねて〜
(主催:あおぞら財団)
2009年8月4-6日の3日間
昨日の昼読会でも、すこし報告をしたのですが
スタディツアーに参加してきました。
3日間、ひさしぶりに頭を使った!
最近にないぐらい、学んできました。
イタイイタイ病が発生した、富山県婦中町(現:富山市)を訪れ
被害者の家族の方、医師や弁護士、行政、支援団体、企業等の皆さんにお話を伺い、伺ったことをまとめ、さらに提案・提言をしていく過程から、公害について学び、伝えることを考えるという内容でした。
1日目は、
イタイイタイ病の原因究明に大きく係わった萩野病院、医師「萩野昇」氏(1915年-1990年)
その萩野病院 現院長の青島恵子さん
そして、イタイイタイ病対策協議会 会長の高木勲寛さんにお話を伺いました。
2日目は、4つの班に分かれヒヤリングです
私のいた班は、A班。
まず弁護団の水谷敏彦弁護士、坂本義夫弁護士に伺う。
・活動は、「被害者救済」「土壌復元」「発生源対策」の三本柱
・土壌復元が完了するまで弁護団は解散しない
・証言を集めた運動史の作成(伝えること)
・世界で一番進んでいる公害対策地域であると考えている
といったお話を伺いました。
いま、運動史の証言集は、もうすぐ完成とのこと。
そして、昼からは、マスコミということで
北日本放送 数家直樹さん
・イ病の被害が激しかったところで、インタビューをしてもイ病について知っている人が少ない。そんなことでいいのかという問題意識からイ病の番組を積極的につくるようになったそうです。
・小さなことでも、繰り返して伝えていくことが大事とおもって番組つくりをされているそうです。
そして、土壌復元の現場をみて、夜からは発表の準備です。
私たちの班は
いろいろな話を伺って、「伝えたい」という思いを非常に感じたのだけれども、、伝え方にもう一工夫いるのかなという意識
それから、公設の「資料館」設置にむけた動きがでているので
そうした背景から
「人と清流つながる館」構想
2028年 きっとこうなっている勝手な構想 を示しました!
イ病について伝えるのはもちろんのこと、そのためのメディアセンターや
語り部の活動
環境学習施設、資料の収蔵施設
チョット困ったときに聞けるコールセンター
医療相談もうけられるし、神岡鉱業の展示や土壌復元のジオラマとか
資料館にとどまらず
「人と人とのつながりをつくるセンターへ」ということで
「人と清流つながる館」を提案したのであります。
実は、ここで議論されたことはイ病だけの問題ではなく、水島も含めた各地の公害地域での課題でもあると思うのです。
例えば、水島での大気汚染公害や町の歴史をどう伝えていくのか
それを、今後のまちづくりにどういかしていくのか、自分自身への問いとしても考えながら作業したのであります。
他の班の発表では
土壌復元に関して、他地域よりも安全なお米がとれるようになった、しかも美味しい!ということで
「美田もちもち米」としてのブランド化の提案があって、それはいい!と感心しました。
「美田もちもち米」にしても、「人と清流つながる館」にしても、名前が採用されたらどうする??
と、捕らぬタヌキのなんとかで、盛り上がったりも・・・。
A班は、学生さんや、自治体職員の方、教員とバラエティに富んだ班で、しかも、皆の発想やがんばりがすごくて、とても学ばせて頂きました。
皆さん、ありがとうです。
ちなみに、2028年というのは、イ病裁判提起から60年ということで設定しました。
20年後、水島はどうなっているのか、富山は?
さまざまな地域で連携していくことも大事だなと思います。
最後に、このようなツアーを企画・準備いただいた、あおぞら財団の皆様、そして地元のコーディネーターをしてくださった高木さんには感謝感謝です。
本当に大変だったと思います。
私たち参加者がその思いにきちんと応えられたのか、今後の活動にかかっていると思います。
がんばりましょう。
おまけ。
私たちA班は3日間、「清流会館」に缶詰(他の班は、いろんなところへ出かけてましたが)
その、被害者団体が自分たちで作った「清流会館」のロビーの電気はちょっとおしゃれ。